「蔵前に勤務しています。」と言うと「コーヒーの街ですよね?」と聞かれるくらいになり、蔵前がコーヒーの街として有名になりつつあるということでカフェ巡りツアー考えたわけであるが、正直コーヒー自体についてはあまり詳しくない。

コーヒーはほぼ毎日飲んでいるのだが、僕の場合はカフェインを摂取してリラックスしたいというのが目的で飲んでいるだけで、味が大好きだから飲んでいるというわけではない。香りがたまらなくいいのは理解できるのと、暫く飲まない日が続くとコーヒーの味が恋しくなる時はある。

しかし折角、蔵前のカフェ巡りツアーをしているわけであるので、そもそもコーヒーと何なのかという事についてちょっとお勉強をしたかったので本を探してみた。
で、読んだのが『コーヒー哲学序説』(青空文庫のサイトで無料で読めます)。なるべく安く済まそうと思い、kindleで無料で読めるコーヒー本を探して唯一見つかったのがこれだ。

著者は寺田寅彦(1878.11.28〜1935.12.31)という。
物理学者、随筆家、俳人。
1923年に関東大震災を経験し、災害の研究もしていた。よく耳にする「天災は忘れた頃に来る」という警句を残したのは寺田寅彦のようだ。
『天災と国防』(1934年11月)『人間と津波』(1933年5月)これも青空文庫で無料で読む事ができる。
最近また地震が多くなってきたし、次いつ大震災が来るかわからない。2冊とも短いのですぐに読めたけど、災害予防の意識は少し高まるしこれはマジで読んだ方がいいかもしれない。
蔵前についてはラッキーなことに大江戸線が通っている。大江戸線は有事の際に自衛隊の輸送路線として設計されているという都市伝説があったが、これは本当なのだと何かのテレビでどこかの大学教授が語っていたのを見た記憶がある。なので蔵前地域の人は大江戸線に逃げ込めば安全かもしれない。

もとい、コーヒー(笑)
読んでみたが、本の最初の方は当時、日本のコーヒーがどれだけ貴重だったか。著者が留学した先のドイツ、フランスで美味しいコーヒーを飲んだことについての思い出話が書かれている。後半まで読み進めると、自分がコーヒについて思っていることと似たようなことが書かれてあった。

自分はコーヒーに限らずあらゆる食味に対してもいわゆる「通」というものには一つも持ち合わせがない。しかしこれらの店のおのおののコーヒーの味に皆区別があることだけは自然にわかる。

しかし自分がコーヒーを飲むのは、どうもコーヒーを飲むためにコーヒーを飲むのではないように思われる。

研究している仕事が行き詰まってしまってどうにもならないような時に、前記の意味でコーヒーを飲む

僕も同じだ、コーヒーについてはほとんど無知。真のコーヒー好きの人にはこう言われるかもしれない。

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コーヒーを通してある種の変性意識状態に入る描写がロックで面白かった。

コーヒーが興奮剤であるとは知っていたがほんとうにその意味を体験したことはただ一度ある。

銀座へ行ってそのただ一杯を味わった。そうしてぶらぶら歩いて日比谷へんまで来るとなんだかそのへんの様子が平時とはちがうような気がした。公園の木立も行きかう電車もすべての常住的なものがひどく美しく明るく愉快なもののように思われ、歩いている人間がみんな頼もしく見え、要するにこの世の中全体がすべて祝福と希望に満ち輝いているように思われた。

僕の場合は外でぶらつきながらコンビニで買ったコーヒーを飲み歩いているとこのような状態になることが多い。コーヒー+風にあたるのと景色が変わる事で何かしらの身体の変化でこのような状態に入りやすくなるのかもしれない。室内だとあまりならない。数ヶ月前、ミルトン・エリクソンの心理療法を得意とするカウンセラーの所を訪れて変性意識状態の入り方を教えてもらったことがあったが、身体に意識を細かく繊細に向けることで入り易くなると言われた。

コーヒーの効果は官能を鋭敏にし洞察と認識を透明にする点でいくらか哲学に似ているとも考えられる。

コーヒーはドーピング剤になる。ちなみにこのカウンセラーは先月、本を出していてなかなか売れているらしい。僕は彼のブログのファンなのでもちろん読んだ。

このコーヒー序説を読んで試したいと思ったのが、これ。

茶わんの厚みでコーヒーの味覚に差違を感ずるという興味ある事実を感じた

マジか、今度ビールジョッキで飲んでみようかな。

コーヒーの味はコーヒーによって呼び出される幻想曲の味であって、それを呼び出すためにはやはり適当な伴奏もしくは前奏が必要であるらしい。

たぶん、ドーナツとかケーキも食べろと言っているのだろう。

コーヒー道、まるでロックですね。