伝統と新しさが共存する街

明治・大正

幕末から明治維新そして関東大震災と激動の時代、浅草御蔵の跡地は様々に変貌を遂げました。

彰義隊の墓

蔵前の西福寺には、彰義隊の墓があります。
しかし墓石には「南無阿弥陀仏」としか書かれていません。
当時は堂々と彰義隊を供養することはできなかったのではないでしょうか。

御蔵跡は漕艇場?

明治8年(1875)には、隅田川で漕艇(ボート)競技が始まったとされています。
御蔵跡には堀が残っており、ボートの出し入れや格納するには都合がよかったのでしょう。一高や帝大のボート部が練習していたようです。

中村座(猿若座)

寛永元年(1624)、初代中村勘三郎によって日本橋の近くに中村座(当初は猿若座、すぐに中村座と改称)が開かれました。
その後焼失などで移転を重ね、明治17年(1884)に浅草西鳥越町(現在の鳥越一丁目)に移り、猿若座と改称。
明治26年(1893)の火災により焼失した後は再建されず、廃座となってしまいました。

煙草工場

明治37年頃、浅草御蔵跡地に東京第二煙草製造所が建設されました。
現在の下水道局蔵前ポンプ場辺りと推察できます。
煙草工場は、その後田町へ移設させられています。

梅若能楽堂

大正8年(1919)、厩橋西詰の下流側に梅若能楽堂が建てられています。
関東大震災で焼失しましたが2年で再建し、昭和20年(1945)の東京大空襲で再び焼失するまでここで能が演じられていました。
当時としてはモダンな作りで、食堂やバースペースがあり、隅田川岸までウッドデッキが続いていたと云われています。

東京電燈浅草火力発電所

浅草火力発電所は、浅草御蔵跡地(北寄り)に建てられたもので、現在は東京電力蔵前変電所がある辺りです。
明治28年(1895)には送電を開始しました。
関東大震災で煙突だけ残して倒壊し、再建はされませんでした。
発電所は新たに千住に造られ、浅草発電所から残った煙突3本を移設したそうです。
いわゆる千住のお化け煙突4本の内、3本は元々蔵前にあったものでした。

参考

台東区ホームページ
台東区史
古老がつづる台東区の明治・大正・昭和
東京都神社名鑑

  • Facebook
  • Hatena
  • twitter
  • Google+
PAGETOP
Copyright © 東京下町問屋街 All Rights Reserved.
Powered by WordPress & BizVektor Theme by Vektor,Inc. technology.